一般社団法人鈴鹿青年会議所

第52代理事長所信

第52代理事長 近藤 拓弥

【はじめに】

私は亡くなった母から「人に施しなさい」と事あるごとに言われ育ってきました。当時、
母の言う「施す」の意味を「人に優しくすること」だと理解していました。母は他者に対し、いつも真摯に接し、誰に対しても優しかった記憶しかありません。それは、人に感謝し尽くすことが母の人生においての喜び、幸せだったのでしょう。母は、ただ「人に優しくしろ」と私に教えたかったのではなく、相手に施した喜びから生まれる「幸せ」に触れて欲しかったのだと感じています。

青年会議所に入会したばかりのころ、仲間は未熟な私に対し、厳しく時には優しくとことん納得するまで諭してくれました。そんなある時、先輩に厳しく叱られ腹が立ったことがあります。なぜ腹が立ったのかと今思い返すと、それは自らが欲していない思いやりだったからです。しかし、たとえ自身が納得できない思いやりであっても、何故そのような事を言うのかと相手に対しもっと想像力や感受性を持って理解を深めることができていたなら、そこには「怒り」ではなく自然と「感謝」が生まれていたでしょう。感謝こそ出来なくても、そこに「思いやり」があったことに気づくことが出来たはずです。

「施し」とは、ただ何かを「する」ことだけでなく、他者の思いに「気づく」ことでもあるのです。そして思いやりと慈しみの心「忠恕」が大切であり、感謝も同様、相手の言動への理解の上にこそ本当の感謝が生まれます。その感謝、自身の喜びや幸せは、他者に対する「奉仕」の心を生み、またそこに喜びや幸せが生まれるのではないでしょうか。
他者の幸せが自身の幸せへと繋がるこの循環にこそ、私たちを一つにするエネルギーがあると私は信じています。

【拡大について】

青年会議所では、日々の活動を通して私たち一人ひとりの意識を変化させ、周囲に対してより良い影響を与えたいという思いや使命感を芽生えさせてくれます。このように高い志を持つ人材を育成できる青年会議所は、より良い社会の実現に大きく貢献できる団体であると感じています。

しかしながら、全国的にみても会員の減少が著しく、日々の活動はおろか存続の危機にあるのが現状です。だからこそ私たちの活動への共感と共鳴を社会に対し広く求め、新たな同志を精力的に募っていかなければなりません。そのためには、会員一人ひとりの質を向上させ、全体の価値を高めていく必要があると考えます。より良い社会の構築に向けて会員一人ひとりが高い意識を持って日々行動、活動し会員の拡大及びJC運動拡大に努めて参りましょう。

【人間力向上について】

日々生活をするなかで自身が「当たり前」だと思っていることが、他者にとっては当たり前でないことが多々あります。自身が持つ価値観を相手も同じ様に持っていると思い込んでいるから、そこにギャップが生まれるのです。このギャップを埋めるため一般常識に添ってマニュアルを作成している企業もあります。マニュアルを実践することで、今まで意識することがなかった言動に気づき、それを繰り返すことで、いつしかそれが自身の常識へと変化していくという利点がありますが、一方ではマニュアルを意識しすぎると不測の事態への対応ができないという問題もあります。基本は意識しなければなりませんが、どんな状況においても正しい考え方を持ち、今何が求められているのかを判断し行動に移す力が必要であると感じています。ただ気づくだけでなく、自ら考え、積極的に行動に移してこそ自身の力となるのです。魅力ある JAYCEE となるために人間力を高めていきましょう。

【まちづくりについて】

鈴鹿に住まう人、あるいは訪れる人たちは、このまちでの営みに何らかの愛着を持っているのではないでしょうか。私はこのまちに生まれ多くの人に出会い育てられ、感謝と共に愛着があります。故にこのまちが豊かであって欲しいと願っています。しかし人口減少により経済規模が縮小し社会が多様化する中で、まちづくりを行政だけに頼ることが難しくなってきました。だからこそ、私たち地域住民自らが考え行っていく、まちづくりが必要であると考えています。そして地域起点の発想で住民参加のもと、地域が主体となってまちづくりを進めることにより、まちが持続的に発展していく仕組みが形成されることが重要であるのです。また、地域住民自らが誇りを持てる豊かなまちを実現することで、まちの魅力を発信する機会が増え、訪れる人たちの満足度も高まると考えています。自ら考え行う地域住民主体のまちづくりを進めるために先ずは私たちが主体となり、まちづくりを進んで実行していきましょう。

【青少年育成について】

ゆとり世代から悟り世代と言われるように、諦めのような冷めた考えを持った若者が増えたように感じています。高望みせず堅実な生き方をしているとも取れますが、このような若者が増えたのは、夢や希望を持ちにくい社会になったことも一つの要因となっているのではないでしょうか。だからこそ次代を担う子ども達には、好奇心に溢れ挑戦する意欲を持ち自立した大人へと成長して欲しいと願っています。

私たちが過ごしてきた青少年期は、大人が子ども達をどのように導くか意図的に考え、あらゆる機会を与えてくれていました。海や山などの自然や仲間との友情などから得られた学びが私の今の人生に活かされています。しかし、こうした地域社会の活動は著しく減少し、これからの未来を支える子ども達にとって、より必要とされる能力を得ることが難しい状況にあると危惧しています。今の子ども達に何が必要でどのように導くのか改めて考え、地域教育の発展に努めるとともに、子ども達が好奇心を持って参加できる事業を真剣に考え、社会参加の機会を提供していきましょう。

【組織運営について】

私たちは事業を行い、運動を起こしていく中で、それを効率的に機能させるために組織力を向上させることが必要になってきます。青年会議所には組織力を向上させるための素晴らしい仕組みがいくつもありますが、それは単なる形式でなく、全てのことに意味があります。あらゆる仕組みや規則について、改めて一人ひとりが理解を深めていくことが、私たちの基準を底上げし、より良い組織の成長へ繋がると信じています。

また対内への意識だけでなく他の組織にも積極的に参加し、広く知識を吸収し具体的な成果に繋げられるように取り組んでいきましょう。

【むすびに】

内外部環境の変化によって、場面を問わず様々な制限が強いられる厳しい時代となりました。こんな時代に理想ばかり並べられても…と思うことがあるかもしれません。日々の生活や活動である「現実」を観ることは大切です。しかし、一人ひとりの成長やまち、青年会議所の発展を願い活動する私たちが、理想や信念を持たずして明るい豊かな社会を実現することができるでしょうか。こんな時代だからこそ、私たちに必要なのは理想や信念を持ち、使命をいかに全うしていくかという「使命力」なのではないでしょうか。目標達成は、使命を果たすための「途中成果」でしかありません。「目標のために動く」だけでは、作業をこなすだけの日々になってしまいます。使命である最終成果のために意識し動くということは、「自由に動く」ということだと私は考えます。

最近では、様々な環境や場面において責任を問われる世代を、責任世代と呼びますが、そもそも責任は必ず自由と同じ割合で存在していないでしょうか。自由の割合が多ければ、その分責任も重くなります。反対に自由がなければ責任は無いに等しいのです。私たちは、責任世代であると同時に、自由世代でもあると言えます。自らが考え選択でき、そこに責任を持てる世代です。つまり「自由に動く」ということは、既存の形にとらわれない柔軟な考え方と、責任感を高く持つことが必要になります。自主性・主体性が求められるため、楽ではありません。

しかし、一人ひとりに理想や信念がなくては、つまらない世の中にならないでしょうか。人として貧しくならないでしょうか。真の意味での豊かさを持った、ひとづくり、まちづくりを目指し、地域や仲間そして自身のために使命を掲げ前進してゆけることを切に願います。